IT系サラリーマンの社会的 blog

社会に対して思ったことを書いてます

テレビとSNS

 最近、興味深い記事を見た。
f:id:WhiteHead:20140622154458p:plain「ネタ動画」は全てを越える (日経ビジネスオンライン) である。
今現在、

  • 野々村竜太郎県議の不明瞭支出釈明会見

がニュースに取り上げられて注目されている。
先ほどの記事によると、それはニュースではなく「ネタ動画」であると述べている。
また、SNSによりニュースバリューのバランスがおかしくなっていると主張していた。
新しいメディア(媒体)であるSNSの登場により、既存メディア代表であるテレビメディアの地位が揺らいでいる。
これから、テレビメディアとSNSの関係を考察する。

「ネタ動画」

 野々村竜太郎県議の不明瞭釈支出明会見に限らず、「ネタ動画」は数多くのニュースの中でも特に話題になったものばかりである。

「ネタ動画」には吊るし上げの要素が必須である。
悪だとほぼ判明しているものを自白するまで追い詰める。
再発防止のためにどうすればいいのかという観点は重要ではない。
A「あなたは悪ですね?」
B「いいえ、悪ではありません。」
A「いえ、あなたは悪ですよ。」
B「すみません、私は悪でした。」
この一連のやりとりが面白いのである。
これが大衆にウケているのは、勧善懲悪に近いからだろうか。

ニュース価値

 ニュース価値の判断には、以下の2つの視点がある。

  • 配信者
  • 読者

配信者のニュース価値としては、新しさ、人間性、社会性、地域性、記録性、国際性がある。
(参照:f:id:WhiteHead:20140622154458p:plainニュースとは何か (NIE [Newspaper in Education]) )
読者のニュース価値としては、関心があるかのみであり、非常に単純である。
ここで、「ネタ動画」を一番最初に取り上げるのは誰なのか考える。
もちろん、テレビメディアである。
つまり、ある会見が「ネタ動画」として大衆にウケるとテレビ局は思ったのである。
ウケると思ったからこそ、テレビでニュースとして取り上げた。
そこに、配信者のニュース価値は考えられていない。
読者のニュース価値を非常に意識している。
そして、狙い通り大衆にウケてSNS上で流行したわけである。
このことから、テレビ局は配信者のニュース価値よりも読者のニュース価値を重視しつつあるといえる。

テレビメディアとSNSメディア

 同じ情報メディアといっても、テレビメディアとSNSメディアは以下の点で大きく異なっている。

  • 一方向と双方向
  • 受動的と主体的
  • 情報の信頼性

一番大きく異なるのは、情報の信頼性だろう。
なぜなら、テレビメディアには社会的責任が伴うからである。
テレビ局は企業として責任を持ってコンテンツを作成し配信している。
一方、SNS企業は配信の場こそ提供しているが、コンテンツ自体には関与していない。
社会的責任があるからこそ、配信者側のニュース価値は読者側のと比べて複雑なものになっているのである。
逆に、共通している点は以下の通りである。

  • 企業
  • 情報メディア
  • 売上高の多くは広告収入

広告収入は情報メディアの生命線である。
広告収入を上げるためには、読者の関心を集めることが重要である。
一企業であるテレビメディアは、配信者だけでなく読者のニュース価値も考慮しなければならない。
近年、テレビメディアの売上高は、SNS登場により減少しつつある。
このため、ニュース価値のバランスが読者側に傾くのは仕方のないことかもしれない。

ニュース価値のアンバランスの問題

 社会には、面白くはないが関心を向けないといけない事がたくさんある。
人と対立しててでも決めなければならないことがある。
テレビメディアには、そのような社会問題に人々の関心を向けさせる責任がある。
しかし、テレビメディアが企業存続に手一杯でニュース価値が読者寄りになると、社会問題がなおざりにされてしまう。
社会問題を専門的に扱う職業である政治家がいるにしても、彼らを選ぶのは我々である。
政治家が面白いかではなく、関心のある社会問題を期待通りに解決してくれるかで選ぶのは当然である。
ただ、関心のある社会問題がないと、選挙に興味がわかない。
ニュース価値のアンバランスは、民主主義の土台を揺るがすのである。

公共のテレビメディア

 ニュース価値がアンバランスになるのは、ニュースを配信するテレビメディアが企業だからである。
つまり、利益を追求しないニュース配信メディアの存在が必要である。
ご存じの通り、このようなメディアはもう日本に存在している。
そう、天下のNHKである。
ニュース価値のアンバランスにある程度の歯止めをかける仕組みは既にあるのである。
これまで、SNS登場→テレビメディアが苦戦→ニュース価値がアンバランスになる→社会問題がなおざりにされる、と述べてきた。
しかし、NHKの存在により、ニュース価値がアンバランスになることは滅多にない。
単なるテレビメディアの苦戦に終わるのである。
ニュース価値のアンバランスの問題は杞憂だったのだ。

テレビメディアの今後について

 NHKがいる限り、他のテレビ局はニュースを配信する必要はない。
ただ、公共の電波を利用して企業活動を行っている以上、社会的責任を果たさなければならない。
ニュースと称して「ネタ動画」を配信することは、配信者と読者のニュース価値の間をついた賢い方法であるといえる。
(逆に考えると、どちらのニュース価値も満足していない中途半端な方法)
今後、テレビメディアは消えるといわれている。
これに関して、自分は賛成である。
しかし、テレビ局については消えておらず、形を変えて存在していると思っている。
つまり、コンテンツ配信の場としてはテレビからネットに移り、現在テレビで配信されているようなコンテンツそのものは存続しているということである。
テレビ局はコンテンツ作成のプロである。
今回の野々村竜太郎県議の不明瞭釈明会見では、しっかり結果を残している。
コンテンツ配信の場を提供するだけでコンテンツ自体は利用者に任せるという新しいサービスに、多少の利用者が取られるのは仕方がない。
テレビ局にコンテンツ配信の場独占の利点はなくなり、純粋なコンテンツ勝負になったわけである。
ここからが、プロの腕の見せ所といった感じだろうか。