IT系サラリーマンの社会的 blog

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「犯人はアニメ好き」

 7月14日から行方が分からなかった岡山県倉敷市の小学5年で11歳の女子児童が同月19日に無事保護された。
テレビ局を中心としたマスメディアは「犯人はアニメ好き」という報道をし、アニメ好きな人は犯罪を犯す可能性が高いという印象を植え付けようとした。
短絡的に考えるとそうだといえそうだが、実際にはもちろん違う。
なぜ「犯人はアニメ好き」だと誤解されやすいのかを考察する。

命題の定義

 論理において、命題を明確に定義することは非常に重要である。
ここで、「犯人はアニメ好き」を「アニメが好きな人は犯罪を犯す可能性が高い」と置き換える。
しかし、この命題でもまだまだ明確ではない。
アニメには様々なジャンルがあり、犯罪にもたくさんの種類がある。
この命題が取り沙汰される時、大抵特定のアニメのジャンル、特定の犯罪であると思われる。
よって、今回議論する命題を以下のようにする。

・「美少女アニメが好きな人は幼女に関連した犯罪を犯す可能性が高い」


命題の定義について、議論の余地はまだまだあるが、とりあえずはこの命題で話を進めていく。

論理の前提

 命題を議論するにあたり、前提が必須である。
先ほどの命題でそのまま納得するようでは考え方が浅い。
省略されている前提を補わなければならない。
ある人が美少女アニメを好きだとなぜ幼女に関連した犯罪を犯したくなるのかということを考える。
これの根拠でよく言われていることが2つある。

  • 「アニメを見過ぎると想像の世界と現実の世界との区別がつかなくなる」
  • 美少女アニメを見る人は美少女に関心がある」

これらの前提だけで満足だろうか。
2つ目に関しては、まあこれでいいだろう。
ただし、アニメの美少女、現実の美少女、現実の幼女に違いがあることに留意しなければならない。
1つ目に関しては、まだ不十分である。
つまり、「想像と現実の区別がついていないと犯罪を犯したくなる」という前提が必要なはずである。
しかし、この前提でもまだ論理の飛躍がある。
ここで、想像と現実の区別がついていないとどのように行動してしまうのかを考える。

  • 「想像と現実の区別がついていないと、想像の世界での行動を現実の世界でも行ってしまう」

つまり、アニメ世界での常識を現実世界に持ってきてしまうということである。
実はこれでもまだ足りず、犯罪に関連しなければならない。
すなわち、アニメの世界で犯罪を助長するようなシーンがあってこそ、それを現実世界で模倣するのである。
このことから、

  • 「アニメを見過ぎると想像の世界と現実の世界との区別がつかなくなる」

かつ

  • 「想像と現実の区別がつかなくなるとアニメ上の出来事を現実世界でもやってしまう」

かつ

  • 「アニメは犯罪を助長するシーンが存在するようなアニメである」

ならば、

  • 「想像と現実の区別がついていないと犯罪を犯したくなる」

といえるわけである。
さらに、アニメが美少女に関する犯罪を助長するようなシーンが存在する美少女アニメならば、現実世界で美少女に関する犯罪を犯す可能性がある。
よって、「ある人は美少女に関する犯罪を助長するようなシーンが存在する美少女アニメが好きである」を追加する。
以上を整理すると、

  1. 美少女アニメが好きな人は幼女に関連した犯罪を犯す可能性が高い」(最初の命題)
  2. 「アニメを見過ぎると想像の世界と現実の世界との区別がつかなくなる」
  3. 「想像と現実の区別がつかなくなるとアニメ上の出来事を現実世界でもやってしまう」
  4. 「アニメは犯罪を助長するシーンが存在するようなアニメである」
  5. 「想像と現実の区別がついていないと犯罪を犯したくなる」
  6. 「さらに、アニメは美少女に関する犯罪を助長するシーンが存在するような美少女アニメである」
  7. 「ある人は美少女に関する犯罪を助長するようなシーンが存在する美少女アニメが好きである」

これらが省略された前提である。
本当はそれぞれの前提の真偽を確かめる必要があるが話がややこしくなるので、全て真だとして議論を進める。
さらにまとめると、

  1. 美少女アニメが好きな人は幼女に関連した犯罪を犯す可能性が高い」(最初の命題)
  2. 美少女アニメが好きといっても、美少女に関する犯罪を助長するようなシーンが存在する美少女アニメが好きである」

結局は、アニメに関する前提が加わっただけである。

前提の違い

 最初に定義した命題に「アニメは美少女に関する犯罪を助長するシーンが存在するような美少女アニメである」という前提を加える必要があることが分かった。
この命題ならば異論はないだろう。
(あくまで納得できるかという感情的理由の観点であり、科学的な調査を必要とするような論理的理由の観点は考えない)
この前提があるとないとでは非常に印象が違う。
「犯人はアニメ好き」を報道したテレビ局とそれに反発する人たちの間で、前提とするアニメが全く異なっているのが容易に想像できる。
テレビ局が前提としているアニメは美少女に関する犯罪を助長するシーンが存在するような美少女アニメであり、反発している人たちが前提としているアニメは健全なアニメである。
(テレビ局は本当は美少女アニメ全般のことをいっているかもしれないが)
ネット上の議論を見ると、前提の違いを認識しないで議論をしていることが多い。
「アニメは犯罪を助長するようなシーンが一切存在しない健全なアニメ」ならば「アニメが好きな人は犯罪を犯す可能性が高い」は偽である。
「アニメは美少女に関する犯罪を助長するシーンが存在するような美少女アニメ」ならば「アニメが好きな人は犯罪を犯す可能性が高い」は真である。
もちろん、どちらも正しい。
しかし、前提がなければ命題は真であり偽である。
つまり、矛盾してしまうのである。

相関がある場合の可能性

 「美少女アニメが好きな人」と「幼女に関連した犯罪を犯す人」に相関がある可能性は否定できない。
「犯人はアニメ好き」を別に解釈すると、「幼女に関連した犯罪を犯す人は美少女アニメが好きである可能性が高い」である。
美少女アニメ好きな人は幼女に関連した犯罪を犯す可能性が高い」とは意味が違う。
これが相関があるのややこしいところである。
AとBに相関がある場合、3つの可能性が考えられる。

  • AならばB

  • BならばA

  • CならばAかつB(疑似相関)

どれなのか特定したい場合、ABCの真偽の組み合わせ全て(計8通り)を調べる必要がある。
Aが真かつBが真の場合だけを調べても、どれに当てはまるのか判断することはできない。
相関がある場合の可能性はよく間違われるため、それがそのまま誤解につながると思われる。

誤解されやすい理由

 誤解されやすい理由をまとめると以下の3つとなる。

どれも議論する際には致命的な障害となる。
「犯人はアニメ好き」について議論するのはとても困難だということが分かる。

アニメに対する古い考え

 昔と違って、アニメに対する偏見は若い世代を中心にほとんどなくなってきている。
相変わらず古い偏見を持っているテレビ局は時代に遅れていると思ってしまった。
ただこれは検察の考えかもしれない。
犯人の人物像に関する情報源は全て検察であるためである。
いずれにせよ、社会の一部にアニメに対する偏見があることは間違いない。
アニメの偏見はなくなるのであろうか。
また、児童に関する凶悪事件は減るのだろうか。
これが一番気がかりなことである。