IT系サラリーマンの社会的 blog

社会に対して思ったことを書いてます

アウトプットについて

 アウトプットとはインプットと対をなす言葉である。アウトプットは周囲の人に自分の考えを伝えるという意味とする。世の中いろいろな人がおり、それらの人に評価されるためにはアウトプットが重要である。アウトプットにより自分の考えを相手に評価してもらうことで、ある意味自分は価値のある人間となる。いつまでもアウトプットしない人間は価値のない人間といえる。しかし、アウトプットしない人間はいない。他人と接する限り、自分の考えを伝えなければならない。つまりアウトプットは人間にとって不可欠なものである。

 自分はアウトプットというものを軽んじていた。正確には、意識していなかった。しかし近年、自分の考えを相手に伝えるというのが非常に難しいと思うようになった。なかなか自分の考えが伝わらない。そもそも自分の考えがあまり熟していないことに気付く。そう、アウトプットは相手に伝えることだけでなく、自分に伝えることでもあったのだ。だから最近は、相手にアウトプットする前に、自分にアウトプットするようにしている。

 今考えていることをアウトプットすることはなぜ難しいのだろう。今考えていることは、日本語で構成されている。つまり、考えそのままをアウトプットすれば、日本語だから相手に伝わるはずである。もちろんそう上手くはいかない。日本語だけれども文法が全くなっていない文章などいくらでも思いつくことができ、そんな文章は相手には伝わらない。そもそも考えとは何だろうか。今考えているものを自分は正確に理解しているだろうか。いや、理解していないだろう。自分の頭の中で考えていることは、実は自分もあまり理解していないと思われる。頭で考えていると、こうなってああなってそうなってと一見これで上手くいきそうだとなる。そして、それをそのまま相手に伝えると上手くいかない。やはり頭の中だけで考えるのには限界がある。これには個人差があるが、自分の場合だと頭の中だけで考えをまとめるには難しい。そう、アウトプットとは考えをまとめることに等しい。つまり、アウトプットが難しいとは考えをまとめるのが難しいということである。今まで自分は考えをまとめずに相手に伝えようとしていたということになる。なぜ考えをまとめずに相手に伝えようとしていたのかは分からない。おそらく、頭の中だけで十分まとまっていると思っていたのだろう、あるいは学校の授業に慣れ過ぎていたというのもあるかもしれない。つまり、学校の時と同じアウトプットの方法で相手に伝えようとすると上手くいかないということである。

 学校でアウトプットするものは何だろうか。さらにいえば、学校で他人が評価の対象にするアウトプットは何だろうか。一番の評価の対象になるのは、成績・テストであろう。特にテストは評価基準が明確で頻繁に行われるため、よく評価対象にあげられやすい。テストのアウトプット形式は非常に厳格で、これが守られていなければ点はもらえない。またテストに出題される範囲も一般社会と比べると非常に狭く、なおかつ学問的に整理されてる。つまり、アウトプットは誰がやっても同じになる。そして、テストの点を左右するのはインプットである。学校時代のアウトプット方法だと、インプットからアウトプットまでの流れが非常に単純であるため、頭の中だけで十分考えをまとめることができる。この感覚でいつまでも物事を考えてしまうと、相手に伝えることが難しくなる。

 情報社会が高度になるつれ、情報を発信する機会は増えるだろう。情報を発信しアウトプットすることで、他人に評価され価値のある人間になる。アウトプットは、相手のためにもなるし自分のためにもなる。このようなWin-Winの関係が社会より発展させていくだろう。

 これから自分の考えをアウトプットしていこうと思います。