IT系サラリーマンの社会的 blog

社会に対して思ったことを書いてます

自転車置き場の議論

紛糾する議論

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 人が集まると、なぜかどうでもいいようなことで議論が紛糾してしまう。
このような現象を、「自転車置き場の議論」という。
例としてよくあげられるのが、原子力発電所と自転車置き場である。
原子炉の建設計画は非常に大きな費用が掛かりあまりにも複雑であるため、一般人には理解できない。
このため、一般人は話し合っている専門家達は理解しているのだろうと思い込み口を挟まない。
したがって、審議は「粛々と」進むことになる。
一方、自転車置き場について話し合うときは、屋根の素材や色といった些細な話題の議論が中心となってしまう。
そのため、そもそも自転車置き場を作ること自体が良いアイデアなのかといった本質的な議論になりづらい。
自転車置き場については誰もが理解している、もしくは理解していると思い込んでいるため、
自転車置き場の設置についての議論は終わらないものとなる。
関係者の誰もが自分のアイデアを加えることによって、自分の存在を誇示したがるのである。

原子力発電所の安全性の議論

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 議論は公共の意思を決定するためには必要なことであり、この意思に則って社会全体を動かす。
その意思決定がある一部の人達によって行わるということは、
ある意味で独裁に近く、一般人も含む社会全体が豊かになる最善の方法ではない。
これまでの原子力発電所の安全性の議論は、ある特定の集団だけで議論されていた。
その特定の集団とは、政府・専門家のことである。
この議論の仕方だと、社会全体の視点で考えておらず、ある特定の集団(政府・専門家)の視点しか考慮されていない。
社会全体が納得できる社会的意思決定のために、たとえ専門家といわれるような人達だとしても、少数の集団だけに議論を任せるべきではない。
一般人も関係しているのであれば、その一般人も積極的に議論に参加するべきである。
ただ、ここまでは既に実現している。
SNSを通して、互いの意見を言い合うことができている状況ではある。
問題は、その議論が「自転車置き場の議論」になってしまっていることである。

自転車置き場の議論」の弊害

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 一般人も参加している原子力発電所の安全性の議論は、「自転車置き場の議論」になっている。
これは憂慮することである。
このままだと原子力発電所が危険であるのに関わらず推進されてしまうからではない。
自転車置き場の議論」のままでは、社会の方針を決める方法が今までと変わらないからである。
具体的に言うと、一般人が原発の議論に参加しても、いつも通りの政府・専門家の意見しか考慮されないということである。
議論した結果、リスクを承知の上で原発の推進を決定することは合理的な決定方法である。
ただ、利害関係者全員ではなく、ある特定の集団だけで議論して決める方法は合理的ではない。
なぜなら、その特定の集団だけが得をし、それ以外の集団が損をするという不公平な関係になるからである。
一般人が建設的でない議論をした所で、政府には理解されない。
ここで、一般人側が理解しようとしない政府が悪いと開き直ってしまうと、議論は平行線のままで終わる。
これは、「自転車置き場の議論」そのものである。(ささいなことで紛糾していないが)
しかし、決定の責任を持つ政府は期限までに結論を出さないといけない立場である。
期限で出す結論は、当然これまで通りのある特定の集団だけの議論の結論である。
つまり、政府・専門家が得をし、一般人が損をする従来の関係のままである。
せっかく議論に参加しても、不公平な関係が変わらないのであれば意味がない。
こうならないよう、一般人は議論に参加するだけでなく、建設的な議論もするよう心掛けるべきである。
一般人が建設的な議論をするように努めることで、よりよい社会が目指せるはずである。

建設的な議論をしよう

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 一般人も建設的な議論するべきだと述べたが、その大多数は議論の目的・仕方を知らない。
今は、このままではよくないと思い行動はしているが、その行動が間違っているという状況である。
このままでは、期待した結果が得られず、せっかくの気運が盛り下がってしまう。
建設的な議論が何なのかは、
f:id:WhiteHead:20140622154458p:plain「論理的思考力とは? 論理的な討論・議論・ディベート・ディスカッション」
というサイトを参考にしてほしい。
ネット上の原発の議論を見ていると、他人の視点・立場を無視した主張が多い。
自分の主張を言うだけで議論には参加できるが、それだけでは足りない。
他人を説得することを意識した議論が求められている。
このような議論をすることで、従来の不公平な関係を解消するきっかけになるだろう。

立ち上がれ、一般人。
時は来た、それだけだ。